お店をおやすみして、ハノイの街をひとりであてもなく彷徨いながら、湖の縁で読書をしたり、無になったり、たまに音楽を聴いたり、考え事をしたりしながら空洞のような時間を過ごしました。
ひとりで旅するときにいつも、いま自分を受け入れてもらっている土地の歴史を知らなければという気持ちにかられます。今回は予定を組みたくなかったので、ひとつだけ行こうと思って、それから数年前に南部のホーチミンで War Museum に行けたので、ちょっと視点を変えて Vietnamese Women's Museum に行ってみました。
Vietnamese Women's Museum では、ベトナムの女性たちにまつわる、歴史の中での暮らし、特に服装史など、それから戦争の記録が展示されていました。
1945年に日本軍が無条件降伏した第二次世界大戦の後、ベトナムでは、1945年から1954年にかけて対フランスの「第一次インドシナ戦争」、そしてその後、1955年から1975年にかけて対アメリカの「ベトナム戦争」がありました。日本で戦争が終わった後、そこから30年も戦争が続いていた国です。
ベトナムの女性たちの参戦についてや、戦時中の日常、そして犠牲について、さまざまな角度から学ぶことができました。その中には、ベトナム戦争に反対する世界中からの連帯の記録もみつけました。(インスタのストーリーハイライトにいくつか写真を残しています)
その中からひとつ、これは、ベトナム戦争に対する抗議活動中にニュージーランドの女性が着用したエプロン。
「人間は、ベトナムで再び戦争という下劣な境地へと堕ちてしまった。嘆け!」
戦争の歴史を学びながら、やっぱりガザのことを考えました。たとえばこのエプロンに書いてある「ベトナム」の文字を「ガザ」に変えても、事実と相違ない状況が、また今です。
東京への帰り道に、展示されていた世界中の連帯のことを考えていました。考えていると、展示されていた過去だけでなく、私の視界の中にだってそれがあることにも気づきました。
私がいつも想いを寄せる人たちの中には、距離が遠くても近くても、プロテストしている人たちが運よくたくさんいます。その人たちを思うと、無力な自分に失望するだけではない何かが、背中を押してくれるような感覚がありました。
それが連帯ということなのかも。
これをさっきみのりちゃんに話したら、そんな私への推薦図書を教えてくれました。
明日も、連帯する人が作った服を着て、連帯する人が作った音楽を聴いて、連帯する人が薦めてくれた本でも読んで、東京からできることをつなげていきたい。
︎
